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GAKUとYOGGY、高校1年生のときに同じクラスになる。
ちなみに「出席番号も26番、27番」(GAKU)。
ブレイクダンス好きということで仲良くなった二人は次第にラップに傾倒。
高2のときには「ファンキー・ニュー・スタイルというすごいダサイ名前(笑)」(GAKU)の生ラップ・バンドに二人ともMCで参加する。
高3の頃からGAKUがちょこちょこラップ&DJコンテストに出場。
「ヒップホップをやってるヤツが少なかったからコンテスト会場はいつも同じ顔ぶれ」(YOGGY)ということもあり、二人はそこでROCK-Teeと顔見知りになる。
かと思ったら、偶然か必然か「示し合わせもいないのに」GAKUとROCK-Teeが大学の入学式で邂逅。

EAST END結成。
浜松町ワルシャワで開催されたイベント「PEACE BALL」の第一回で初ライブ決行。
共演者&楽屋にいたメンツはDJ honda、DJ KRUSH、MURO、BOY-KEN、DJ YASなど。
「お客は二人。客席より楽屋の人数の方が圧倒的に多い」(GAKU)伝説のイベントとなる。
その後「PEACE BALL」はYOGGYがDJをしていた六本木ドゥルーピー・ドゥロワーズに場所を移し、月イチで展開。

| 1月: |
3人で成人式を迎えた後に六本木CUE(当時、"CUE by ZOO")でお祝いライブ開催。バブルガムブラザーズが川崎クラブチッタで四半期に一回開催していたイベント「WATCH
ME」にZINGIに誘われ出演。そこで知り合ったファイル・レコード社長/佐藤氏に見初められ、楽曲プリプロもぼちぼちスタートさせる。 |
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| 秋: |
「新人発掘と鍛錬の場」(GAKU)としてイベント「YOUNG MC'S IN TOWN」を開始。当初のメンバーはすでに顔見知りになっていたZINGI、ライムスター、メロー・イエロー。開始メンバーにはYLP(現FLICK)もいたが、「一回目から『試験勉強だから休む』みたいなことをほざいた(笑)」(ROCK)ため、代わりにメロー・イエローが抜擢された。
当初は代々木チョコレートシティで月イチ開催。トリをZINGIに、他3組は毎回順番を変えて出演。
「楽屋にいるライムスターとメローに向けてかます感じ」(GAKU)で、3組は切磋琢磨。
「代チョコの前でチケット売ってると、メローがその10mくらい前に行く。そうするとこっちもさらに10mって、結局みんな駅前にいる状態(笑)」とチケットさばきでも切磋琢磨。
後にこのチケット裁きをやっていたのが「今や天下のリップスライム」(GAKU)。
「いっつもRYO-Zが『今日は売れなかったっス』とか言ってた(笑)」(YOGGY)
バブルガムブラザーズの中野サンプラザ公演でフロントアクト。これを機に秋からスタートした彼らの全国ツアー、学園祭ツアーに同行する。が、バブルの前座はまだ明るい客入れタイムで、しかもステージの幕前でやるという「思い出すだけでも死ぬ(笑)」(YOGGY)ほど厳しいもの。「でも、それはバブルからの愛のムチ」だと聞いた3人は一念発起。日本大学の学園祭ライブで見事客席をロックする。「日大のはほんとよく覚えてる。EAST
END を知らない客を初めて盛り上げることができたライブ」(YOGGY)
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デビュー・アルバム『Beginning of The END』をファイルからリリース。フジテレビ系ダンス番組『ハウス・エナジー』に出演。そこで知り合った「きのみ着のまま木の実ナナ」というグループをバックダンサー契約。後にそれは二人組メロー・ダウンとなる。そのひとりがリップスライムのSU、もうひとりがDJ
FUMIYAの実兄のTAKE。
フジテレビ深夜番組『どきどきしちゃう』(毎週土曜日)のエンディングの天気予報コーナーにレギュラー出演。番組から支給されるタクシー・チケットで「ダンサーなのにSUは辻堂まで帰ってた(笑)」(ROCK)。

ライムスターの1stアルバム『俺に言わせりゃ』収録の「FUNKY GRAMMAR」にメロー・イエローと共に客演。その制作をきっかけにヒップホップ・コミュニティ「FUNKY
GRAMMAR UNIT」をライムスター、メロー・イエローと結成。「それまでは"ヤンエムぅ?"って感じだったけど(笑)、この言葉で納得がいった」(ROCK)。「みんなの仲間意識が高まった。改めて地場が固まった」(YOGGY)。
「FUNKY GRAMMAR UNIT」発足後しばらくして、池袋チョイスにてイベント「FG NIGHT」を開始。
ノーティ・バイ・ネイチャー来日コンサートのフロントアクトを務める。
RUN DMC&ONYX来日コンサートではライムスター+FGクルーでフロントアクトを務める。
コンピ盤『BEST OF JAPANESE HIP HOP』に「In Your Jeep」で参加(94年7月発売)。
この年にはライムスター、ECD、CRAZY-Aなど同志が次々とアルバムを発表。メジャー・フォース以降の、新たなヒップホップ・シーンが次第に形成されつつ、「俺らのモチベーションも上がってきてた」(YOGGY)。

| 2月: |
新宿シアターアップルで行われた市井由理(当時:東京パフォーマンスドールa.k.aパードル)のライブに、20分ほどのラップコーナーでゲスト出演。それを観ていたファイル・佐藤社長の「お前らいいから、コレやれよ」という一言をきっかけに"EAST
END×YURI"結成。 |
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| 6月: |
EAST END×YURI名義でミニ・アルバム『denim-ed
soul』をファイルから発売。レコ発ライブを西麻布YELLOWで行う。 |
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| 8月: |
「DA.YO.NE」をメジャーでシングル・カット。しかし、当初のセールスは不調。ちなみに「DA.YO.NE」の歌詞はGAKUとライムスター・Mummy-Dの共作だったりする。 |

| 冬: |
NORTH WAVEとタワーレコード札幌店の強力プッシュにより北海道で「DA.YO.NE」がブレイク。続いて広島、九州、仙台……と、その人気は地方からぐんぐん上昇。結局「DA.YO.NE」は最高位3位をマーク。日本ヒップホップ界初のミリオンセールスを記録する。 |
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| 2月: |
「MAICCAーまいっかー」リリース。初登場3位を記録。しかもベストテンに「DA.YO.NE」と「MAICCA」の2曲がチャートイン。しかし、ここで方向性の違いによりROCK-Teeがグループを脱退。 |
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| 4月: |
シングル「いい感じ やな感じ」リリース。「オールナイトニッポン」火曜二部のパーソナリティ・スタート(2年間続く) |
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| 6月: |
フル・アルバム『denim-ed soul 2』 リリース。一連のシングル/アルバムはすべて合わせて400万枚突破というビッグ・セールスを記録。 |
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| 7月: |
シングル「何それ」をアルバムからリカット。「朝起こされて、どこで何するかもわからずに車に乗せられて移動。ほとんど拉致(笑)」(YOGGY)という超忙殺的スケジュールに、二人の記憶が徐々に薄れ始める。
ライムスターの2ndアルバム『EGOTOPIA』収録の「Return of Funky Grammar」に参加。 |
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| 秋: |
ROCK-Teeが原宿にショップ「CRIB」をオープン。リップスライムのPES、キックザカンクルーのKREVAがバイトしてた時代も。 |
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| 12月: |
シングル「ね」 リリース。
NHK「紅白歌合戦」にヒップホップ・グループとして初出場、「DA.YO.NE」を歌う。そのバックにはガヤとしてリップのメンバー等FGクルーがいた。「家から普段着を来て行って出演、そのカッコのまま家に帰るって決めてた」(GAKU) |
この年には「'95ゴールデンアロー音楽新人賞」「日本新語流行語大賞」などを受賞するも、殺人的スケジュールのため「何をやってたとか、何をもらったとか全然覚えてない(笑)」(YOGGY)。


前年に市井由理がソロ・デビュー・アルバム『JOYHOLIC』をリリースしたことで、EAST END×YURIとしての活動は実質的に終焉。

EAST END活動休止。
以降、
GAKUは1999年にシングル「僕は僕でだれかじゃない」でソロ活動スタート。
YOGGYは2000年からミクスチャー・バンド"Food"のメンバーとして活動。
ROCK-Teeはキック・ザ・カン・クルー、イノセンス、リップスライムといったFG仲間をはじめ、数多くのヒップホップ作品をプロデュース。

オリジナル・メンバーで再始動開始。
| 8月: |
8/27 single「ココロエ」リリース。 |
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| 9月: |
9/24 full album「Beginning of the
Endless」リリース。 |
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9/26〜10/25 「MIDNIGHT tour」
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| 11月: |
11/14〜11/23 「Beginning of the Endless Tour」
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